お知らせトピックス

連載「理不尽-ある解任騒動の真相」⑥『鵜と鵜匠(下)』
取り組み
2025.07.29
新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、政府は2020年(令和2年)4月7日、東京など7都府県に緊急事態宣言を行い、同月16日に対象を全国に拡大した。外出の自粛、学校の休校、自宅などでのテレワーク推進、各種行事やイベントの中止など、「3密」を避ける取り組みがあまねく国民に求められたのである。
当会の八崎則男会長が広島県保護司会連合会(県保連)会長に就任したのは同年6月のこと。まさに「コロナ禍」真っただ中での船出だった。鬱屈とした雰囲気に包まれた社会情勢の中、一堂に会しての役員会を書面持ち回り方式に変更するなど、県保連の運営もさまざまな工夫や変革に迫られた。
そして翌年春に県保連の機関紙『更生保護ひろしま』編集委員長に就任した吉川水貴氏にとっても、コロナ禍の時代であるが故になおさら、毎月8ページの紙面を見ごたえ・読みごたえのある記事で埋めるのは、並大抵ではなかったようだ。
少年非行への対応で身を粉にした元中学校校長による寄稿「少年の更生保護と保護司の存在について」、元自衛隊幹部・保護司による寄稿「南極大陸とペンギンのはなし」など、このホームページの「会報誌PDF」に掲載した『更生保護ひろしま』バックナンバーのうち、とりわけ発行時期が古いものをじっくりご覧いただきたい。表紙写真を撮影するため委員長自らが県内各地に足を延ばしたことも含め、「吉川体制草創期」の奮闘ぶりがご理解いただけるだろう。
圧巻が、虎の写真を表紙にあしらった2022年1月号(第781号)だ。お読みいただければすぐ分かることなので、あえて名前をここに記すのだが、八崎会長と当時広島高検検事長だった畝本直美氏による「新春特別対談」を掲載した。
畝本氏はその後、東京高検検事長を経て女性初の検事総長に就任し、全国にその名前が知れ渡った人物である。
この畝本氏が広島高検検事長に就任したのは2021年6月だった。八崎氏によると、実は八崎、畝本両氏に他の更生保護関係者2人を交えた計4人での「ミニ対談」が役所サイドで企画されて実現し、その内容は『更生保護ひろしま』に載るはずが、どういうわけか掲載キャンセルになったという。
そうした経緯があったため、両氏の「やり直し」対談は、吉川委員長が自らの人脈を通じて独自にセッティングし、掲載ボツの「二の舞」は何としても避けようと、保護観察所には内密で事を進めた。掲載紙を見て知った観察所幹部はかなり驚いたそうだ。
だが、しばらくして今度は逆に、八崎氏がその目を丸くする事態が持ち上がる。2022年秋のことである。
その頃、コロナ禍は第7波の感染がほぼ収束したものの、感染拡大は続いていた。オミクロン株のワクチン接種が進められると同時に、軽症なら病院やホテルではなく自宅療養が基本となり、観光業支援のため入国制限が撤廃されたり、国内旅行向けには割引クーポンを提供する「全国旅行支援」が始まったりした。
すなわち、屋内でのマスク着用など引き続き感染拡大防止に最大限留意しつつも、同時に自粛緩和によって日常生活を取り戻す方策を順次講じていくという「両面作戦」が取られていた時期だった。
実はこの頃、広島県内で、ある保護司の叙勲祝賀パーティーが開かれた。なぜか八崎会長には招待状が届かなかったが、当時の観察所長は招待に応えてお祝いの言葉を述べ、他の出席者と会食を楽しみ、さらにステージ上でのコーラスにマスクを外して加わったという。
一方で八崎氏によると、この時期、観察所が地区保護司会代表者等協議会を、県保連が理事会をそれぞれ開く予定だったほか、中国地方保護司連盟は正副会長会議と理事会、中国地方更生保護協会も理事会と評議員会議を予定していたが、いずれも観察所など役所サイドからの指導・要請で開催中止となっていた。
ある参加者からパーティーの様子を直接聞いた八崎氏は「観察所のコロナ対応の二面性」をいぶかしく感じ、幹部に事情を尋ねた。当然、その疑問は所長にも伝わったはずだが、なぜか、八崎氏への弁明や釈明は一切なかったそうだ。
この連載の2回目で、八崎氏の解任動議(2023年3月)で理事会が紛糾した際、仲裁役を果たすはずの観察所長が一言も発しなかったことに触れた。すると複数の読者から八崎氏に「なぜだろう」との問い合わせがあったという。
前回と今回で紹介した出来事がその伏線だったのは、どうやら間違いなさそうだ。
<つづく>